2009-05-15 Fri 00:33
久々の更新です。Bsのチーム状況とこのブログの更新頻度とは何の相関性もないことだけは、最初にお断りしておきます。野球専門のブログでもなく、単なる僕の、公開日記ということで、不定期の更新をご容赦ください。
この1週間ははっきり言ってハードなんです。朝、サッカーの収録、そのまま球場へ出向いて、中継番組の制作、出演、さらにはBsリポート、ベースボールマニアックス、BsーTimesの原稿書きと、全てが終わるのが朝の3時です。寝る時間割いてまで書くほどのブログじゃございませんので・・・。健康第一、安全その次ですから・・・。 に・・・・、しても弱い!弱すぎる!この世界、勝てない=弱いは方程式ではなく恒等式です。野球に精神論を求めるのは、僕の向きではありませんが、今となっては、もうそこしかないのでは・・・。頑張れ!ナカヤマ君。 先日、ふらっと、MEGA STOPPERのリーダー、DOMIさんが、新しいアルバムCDを届けに来てくれました。 ![]() “ネモフィラ”。花の名前です。林を愛するという意味を持つ植物。その花言葉は“可憐”、“成功”、“愛国心”そして“私はあなたを許す”だそうです。DOMIさんの新しいアルバムに付けられたタイトルは、これらどの花言葉をモチーフにしているのか・・・。じっくり聴き込めばわかるかなぁ・・・。 まもなく全国ツアーも始まるそうで・・・。「MEGA STOPPERって・・・?」かく言うなかれ。オリックス・バファローズの球団歌「SKY」を歌うバンドじゃないですか。「SKY」を作詞・作曲したのが、MEGAのリーダー、DOMIさんなんですよ。 必ずや、この徒然歳時記で、いずれ、MEGAの名曲「SKY」誕生秘話を書きたいと思っています。今は、ちょっと、ヘロヘロなので書けませんが・・・。そのうち、きっと・・・。 ちなみに、発売から5年目、いまでも球団歌「SKY」は球場ショップや通販で売れ続けています。蓋し、名曲です。 「 ![]() スポンサーサイト
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2008-06-02 Mon 23:35
今日、梅雨に入りました。暦で言うところの入梅は立春から数えて135日目、太陽が黄経80度の点を通過する日を指し、6月11日頃がこの入梅にあたるわけですから、気象の上での今年の入梅は、ずいぶん早いんですね。
今、しっかりと窓を叩く雨は、五月雨。梅雨時が旧暦では皐月にあたることから、この時期の雨はそう呼ばれました。”五月雨”という響きで、思い浮かぶもの。僕の場合はこれです。 ♪五月雨は緑色 悲しくさせたよ 一人の午後は・・・♪ご存知でしょうか?村下孝蔵さん(故人)の「初恋」です。1983年にリリースされた名曲です。ややアップテンポのマイナーコードの楽曲で、村下さんの優しくも暖かい言葉で綴られた詞が素敵です。 ”五月雨は緑色”で始まるこの歌。萌える植物の緑をよりいっそう、色彩的に映えさせる五月雨。そこから、若い日々ののエネルギーを連想させ、雨はまた同時に叶わぬ恋さえも暗示しているようです。柔らかな”和語(やまとことばともいい漢語とは対を成す言葉)”中心に書き上げられた歌詞はとても叙情的であり、人の心を内面に向けさせてくれます。 そしてこの「初恋」の詞は”浅い夢だから 胸をはなれない”で結ばれています。一種、熱病のような若い日の恋を村下さんは”浅い夢”と喩え、しかしながらその熱さゆえに”胸をはなれない”と表現しているのではないでしょうか。僕の中の名曲のひとつです。 村下孝蔵さんというと、この「初恋」でブレイクしたのですが、この曲よりも1年前に発表した「ゆうこ」や、この初恋の後の「踊り子」も秀逸な作品です。特に、「踊り子」では”初恋”ではない、若いながらも少し大人な恋、しかも悲恋を歌っています。インタールードやエンディングのバイオリンが切ないメロディーを奏でています。ただ、この曲に関していえば、イントロのメロディーが、同時期に活躍したFR・デイビッドの曲(タイトルは忘れました)のそれと酷似しているのが気になります。あくまでも私見ですが。 1999年に46歳の若さでこの世を去った村下さん。まだまだその才能に触れたかったですね。五月雨の夜、ふと、村下孝蔵さんの「初恋」を口ずさみながらの徒然歳時記、久々の(プチ)音楽エッセイとなりました。 同じ「初恋」でも島崎藤村の ”まだあげ染めし 前髪の林檎のもとに 見えしとき 前にさしたる 花櫛の 花ある君と 思いけりやさしく白き 手をのべて林檎をわれに あたえしは 薄くれないの 秋の実に人恋い初めし はじめなり (後略)・・・” この詩は秋に沁みるんですよね。 蛇足でした。 「 ![]() |
2008-01-23 Wed 23:59
昨日はこのブログで愚痴ってしまいました。すみません!気を取り直して、今日は書きますね。そうです!音楽エッセイ第3弾「風のようにうたが流れていた」です。
先日、CDショップでDVDを買いました。小田和正さんの4枚組DVD「風のようにうたが流れていた」です。3年前にTBSで放送された番組がDVD化されたものです。以前からとても気にはなっていたのですが、1万4千円を超える高価なモノでしたから、なかなか手を出せないでいたのです。しかし、意を決して購入に踏み切りました。 ![]() 小田和正さんといえば、日本の音楽シーンを代表するアーチストであることは周知のとおりです。今更、ここで詳しく述べることは割愛しますが、シンガーとして、ソングライターとして、その豊かな才能と音楽性の奥の深さは、今なお小田さんがヒットメーカーであり続けていることを見れば容易に分かります。オフコース時代からTV出演を断り続けてきた小田さんのテレビ出演DVDということだけでも僕の心は躍りました。 DVDにはライブ形式で行われた番組が収録されていて、小田さんの音楽観や交遊録、さらには日本で育まれた”歌謡曲”ではない新しい音楽の変遷が小田さん自身の言葉で語られています。60年代から70年代にかけて生まれた”フォークソング”は70年代の後半になって”ニューミュージック”という名で呼ばれるようになり、今やそ呼び名さえ風化してしまっている中、「自分達がやってきた音楽は、この先いったいどうなって、何処に行くのか?」というメッセージを小田さんは歌とトークで僕らに伝えてくれています。 その昔、小田さんはオフコースというグループのリーダーでした。(オフコースは”Of Course”ではなく”Off Course”)その”道から逸れる”というグループ名のとおり、当時、日本の音楽界を席捲していた”フォーク”の本流からは少し違った音楽路線を走っているように、当時中学生だった僕は感じていました。レコードを聴けば、多重録音を駆使したハーモニーの美しさに感動し、いざ、演奏のまねごとをしようものなら、少し変な(?)コード進行に戸惑ったものでした。なによりも、あの透明感のある歌声は大きな魅力ですよね。五線譜の一番上にもう一本線を足した第6線のまだ上、Bのさらに上の音がファルセットではない声で出せるのですから驚きです。 ![]() 結成当時、3人だったメンバーは2人になり、70年代おわりに5人に、そしてオリジナルメンバーだった鈴木康博さん(この人のギターも歌も大好きでした・・・)が抜けて4人になり、やがてソロになってゆく。その過程と心境の変化を、小田さんはこのDVDの中で、当時では語れなかったようなことも、「これも時の流れで、今となっては・・・」と悟ったように話してくれています。興味深い内容です。そもそも、ほとんど、トークのないのが、オフコースの、小田さんのコンサートでしたから・・・。2時間で20曲を歌いきる!って感じのコンサートが当たり前だったので、こんなに語ってくれる小田和正さんを観ているだけで嬉しくなってしまいます。 実を言いますと、局アナ時代、僕は小田さんにインタビューしたことがあるのです。1988年、オフコースにとって最後のツアー「君住む街へ」の楽屋で、お話をさせていただきました。どんなお話をしたかは、不本意ながら全く記憶にないのですが、僕がオフコースの創生期からのファンであることを告げると、「へェ~、珍しいねぇ。そうなの」と言って笑ってくれたことと、自分の名刺の裏にボールペンでサインを書いて頂いたことを覚えています。(そのサインは、何処へいってしまったのやら・・・)そのインタビューから数ヵ月後、オフコースは解散したのでした。今また、お話が出来るのなら、どんなことを聞くんだろう・・・。想像もできません。 ![]() 60年代、若者が自分達のメッセージを歌にすることによって誕生した”フォークソング”、それらが時と共に、醸成され”ニューミュージック”と呼ばれる、より高められた音楽性と演奏テクニックを有した音楽に昇華されてゆく過程を、時には息を飲みながら、時には胸を躍らせながら見聞きしてきた僕にとってとても興味深いDVDでした。それにしても、今は聞かれなくなった”ニューミュージック”というジャンル、いったい何処へいったのでしょうか。”J-POP”って言葉、ジャンルでカテゴライズされたくないなぁ・・・。 齢五十を3年半後に迎える僕が35年近く聴き続けている音楽、その音楽を、還暦を過ぎた今も、第一線で続けておられる小田和正さん。その潤沢な才能とパワーにあらためて敬服しつつ、大きな勇気を貰えたような気がします。 これまで「風のようにうたが流れていた」し、これからも「風のようにうたが流れてゆく」のかな・・・。きっと。 とっても私的な音楽エッセイ・・・・。失礼しました・・・。 「 ![]() |
2008-01-16 Wed 21:04
平成に入って20年も経つと、昭和という響きはどこか遠い郷愁を帯びて感じられるもの。昭和中期、高度経済成長の真っ只中に生まれ育った僕にとって、昭和はとてもヴァイタリティーに溢れた魅力ある時代でした。子供ながらに、本当にそう思っていましたし、今でもその思いは同じです。新幹線に高速道路、ふたつのオリンピック(東京と札幌)、さらには大阪万博と敗戦国日本が”戦後”にピリオドを打とうとした時代が、まさに僕にとっての昭和でした。無論、軍国主義に傾いた不幸な時代、何もかもが灰燼に帰し、全てが枯渇していた苦しい時代も確かに昭和だったのですが・・・。
前置きが長くなってしまいました。そんな僕の知る昭和を、まさにその時代を映すCDを買ったのでご紹介いたしましょう。最近、様々なコンピレーションアルバムが発売されていますが、これこそ、まさに最強の昭和中期以降の日本歌謡史と言えるのでは・・・。 ![]() 作詞家、阿久悠さんの作品集「人間万葉歌」です。昨年8月に逝去された稀代の天才作詞家の作品を集めたアルバムです。阿久悠さんが手掛けられた作品は5000曲にものぼるとされ、その中の珠玉の108曲が5枚のCDに収められています。なぜか、人間の煩悩の数と同じ108です。そのジャンルは演歌からアイドル歌謡、フォーク、ギャグソングにアニメ主題歌など多様です。まさに「万葉」です。 万葉集といえばご承知のとおり、7~8世紀にかけて編纂されたという現存するわが国最古の歌集で、天皇、貴族の宮廷人から役人、防人や庶民までのあらゆる階級・身分の人間が詠んだ歌、4500首が収められています。阿久悠さんの場合はたったひとり。42年間で5000曲ですよ。まさに「万葉=よろずのことば」で昭和から平成という時代を彩られたわけですね。今、そのCDを聴きながらこの文章を書いていますが、僕の生きた昭和がスピーカーを通して、今に蘇っています。紅白歌合戦のトリを飾る壮大なメロディー、誰もが熱狂したアイドルの歌声、それらはすべて阿久悠さんの言葉で、詩で魂が込められているのです。 「歌というのは不幸の、ちょい手前のね、切ない部分をどう書けるか、ということが僕は一番大切なことだと思うんです」と阿久悠さんが以前、テレビで語っておられたとか・・・。「不幸の手前」にひたすら共感したあの頃、そして、その「切なさ」を感じられることに「幸せ」な今。昭和と平成が同居する不思議な心地よさとでも言いましょうか・・・。 万葉集の歌を大別すると、雑歌(宮廷の行事や神事、または自然を詠んだ歌)、相聞歌(男女感の恋愛を詠んだ歌)、そして挽歌(柩を挽く時、つまり人の死を詠んだ歌)の3つになると、かつて習いました。万葉の多くの歌に詠まれた無常観。「人の世は常ではないこと」に対する、怒りや悲しみ、絶望感を万葉びとは歌で表現しています。天才作詞家・阿久悠さんの世(命)も、常(永遠)ではありませんでした。昭和の万葉びと、阿久悠さんがご自分に贈った挽歌はどんな詩(うた)だったのでしょう。 「 ![]() |
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