2011-02-02 Wed 00:12
プロ野球のキャンプが一斉にスタートです。
キャンプイン前日、僕は宮崎にいました。 沖縄と並んで宮崎はプロ野球のキャンプ銀座ともよばれるくらい、この時期は賑わいます。 宮崎入りするホークスの取材だったのですが、福岡の各放送局がキャンプイン前日の選手の声を分担してインタビューしようというもので、我らJ・SPORTS班は、川選手会長へのインタビューでした。 三木Pは「がんばれ日本プロ野球」のキャンプ巡りで宮古島に入ったため、担当は加藤P。「大前さん。新燃岳の噴火で飛行機がとばへんかも・・・」との加藤Pの脅しに負けて、31日は朝11時過ぎに宮崎に降り立ちました。火山の噴火や火山灰の影響で、福岡か鹿児島に着陸するか、引き返すという条件付のフライトだったのですが、何事もなく宮崎に入れました。 そこからホークスの到着まで7時間半。ホークスとて、福岡からの便が着陸できるかどうか不確定だったため、加藤Pと僕は宮崎空港3Fのレストランで時間を潰す事に・・・。7時間以上も粘られたレストラン側もきっと迷惑だったでしょうに・・・。イタリアンスパにコーヒー、ケーキセットで居座った7時間半でした。 で、無事ホークスナインが到着。到着口からバス乗り場までの通路で、選手を見つけてはインタビューするというスタイルで・・・。ムネリンへのインタビューは2分半。いやぁ、7時間半待っての2分半ですから・・・。僕らの仕事ってこんなものなんですね。 そして、仕事が終われば、「宮崎で美味しいものを!」というのが定番でしょうが、加藤Pも僕も翌朝10時には大阪に戻らねばならない事情から、飛ぶかどうかわからない(実際JALは朝の第一便は欠航)飛行機をあてにはできない事情から、宮崎から福岡までレンタカーで向かいました。高速道路は新燃岳のすぐふもとを走るため、そのエリアになったとたん、道路に積もった灰を車が巻き上げて真白になるのですから・・・。 で、大阪での仕事を終えて、今、那覇で書いています。僕が泊まる那覇市内のホテルはその昔、オリックスが糸満キャンプをしていた頃に使っていたホテルで、田口選手やイチロー選手らも泊まっていたホテルなんですよ。 そして、明日はいよいよ宮古島。要は、那覇は泊まるだけの経由地に過ぎません。「宮古は寒いよ」と三木Pからのメールも届きました。 さあ、岡田オリックス2年目のキャンプが楽しみです。一気に新しい選手も増えましたからね・・・。 |
2011-01-20 Thu 00:29
先日、NHKで放送された「スポーツ大陸」。ご覧になりましたか?
1995年、阪神淡路大震災の苦難からリーグ優勝を勝ちとったオリックス・ブルーウェーブの特集でした。 懐かしいといえば、語弊があるかもしれませんが、もう16年という時間が経ったのですね・・・。 あのような状況下でよくもあれだけのファンが集まって下さったものだと、今更乍らに感心してしまいます。 様々なことを思い返しながらの「スポーツ大陸」でした。 番組中、相手との相性を考えながら、確率を重視する仰木彬監督の采配に触れ、4番・藤井康雄に代打を送るシーンがありました。非情の決断です。同点で迎えた勝ち越しのチャンス。相手投手は近鉄の清川栄治。左のサイド スローと相性の悪い藤井に代打を送るか否かで、仰木監督は一瞬の逡巡を見せた後、新井宏昌打撃コーチを呼び 意見を求めるという場面です。 その時の仰木監督と新井コーチの会話がいかなるものであったか・・・。番組ではそこまでは紹介せずに、藤井に代わった三輪隆が勝ち越しの犠牲フライを放ち、仰木マジックの真髄を伝えていました。 あの時、仰木監督と新井コーチがどんな言葉を交わしたか・・・。そこに興味を覚えた僕は訊きました。新井さんに・・・。 「僕もあの番組は観ましたよ。康雄に代打を送ったシーンですよね。今でもはっきり覚えています。あの場面で監督が私に意見を求めてこられました。その時点で、仰木さんとしては、代打を送りたいと思っていらしたんです。だから私は、『代打なら三輪がいいと思います。清川の球筋と三輪のスイングのスピードと軌道なら外野フライを打てる可能性は高いでしょう』と言いました。それで、三輪が期待に応えてくれたわけですからね。康雄は悔しかったでしょうが、何よりチームが勝てたことで、全てはうまくいったんですよ」 新井さんの言葉、なかなか深いですね。 新井さんには2軍監督としての2011年シーズンの抱負をインタビューさせていただきました。その記事はオリックスのイヤーブックである「パーフェクトガイド2011」に掲載されますので、是非チェックしてくださいね。 この時期になると、必ずあの頃が思い出されます・・・。 |
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム